Shigeko Hirakawa

 『五つの赤い宇宙』 平川滋子、1999年3月

作品、五つの赤い宇宙 −東京大学大学院数理科学研究科棟のために−


  絵画を空間の中で考えると絵画の形態も自ずと変化する。周辺の状況の影響を免れないからだ。どうせ変化をするならより生き易いかたちになろうとするのが、 生物の繁殖に似てひどく有機的でもある。絵画はその領海の内側でエネルギーを燃やしつつ、領海の外とも折り合いをつけようとする。そのやりかたは、ちょう ど、脳の二つの半球が全く違う働きをしながら同時に連携して働いているのに近い。目は内と外を同時に向いているのである。
 環境の中への折り合いは、常にこうした有機的な連携の上での意識的な作業を通過する。私の絵画はこうして、環境の一部になるために生 まれ出る ことになった。
 
 ここで絵画と呼んでいるのは脱色のことである。脱色は、色の既にある世界から出発した。われわれの周辺から任意に取り上げた色を、薬品を使って消しなが らその下に隠れた世界を浮上させようとしたのである。色を付けてゆく絵画とはちょうど逆の作業だ。こちら側のエネルギーの肩代わりは、アグレッシブな腐食 剤がする。脱色の回数を重ねて収集したデータに従って目的の条件を設定し、あとは腐食剤が太陽と共同してフロッタージュしながら色を消してゆくのを待つ。 一度腐食剤に浸けられた布は反応を起こすので、後戻りもやり直しもきかない。この間私は介入することもできず、色が失われてゆくのを時間の方向の中で見守 るだけである。制御がきかないので自分でアクションを起こすよりも難しい部分を持つ。
 
 この仕事のために、1998年 9月から始めた脱色は1999年 2月まで、45メートルの布を腐食剤に浸けた。フランスは折からの異常気象で悪天候、脱色の最後の必須エレメントである太陽がなかなか出ない。雨雲の合間 からときおり弱々しい陽光がさす。冬の太陽の下で行う脱色は、予想を越えてはるかに繊細なデッサンを布の上に定着した。45メートルの色を落とした負の デッサンのうち、微妙な色の変化を穿った5つの布を選んでパネルに移したのがこの作品である。
 
 色や筆を使わずに作品を作るようになって久しい。同時に外の世界に関わることが多くなって、作品も大多数は立体化した。脱色は一見絵画のように見える が、その実、外界の色を抽出するのにやはり外の力を借りなければならないから、成立は三次元的である。内と外のそんな力の関係が、環境と溶け合って成立す る彫刻とどこか似ているのはこのせいだろう。そのことを、作品に焼きついた冬の低い太陽が一つの軌跡を映し出しながら、淡々と物語っているようである。

  1999年3月
平川 滋子