Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 2000年3月号

平 川 滋子

《現 代アートの必需品》 第十二話 
 審査  

「もしもし、書類が届いたのでお伺いしたいことがあるんですが」
「どこの大学の審査ですか?」
「ブレスト芸術大学です」
「ああ、交通費のことでしょ?今頃言ったって遅いですよ。ノビヨン学長が悪いんですよ。ちゃんと期限通りに書類を処理していてくれれば、問題なく皆さんに 電車の切符を配付できたのに」
受話器から機関銃のように相手の言葉が噴出した。
「しょうがないから、審査が終わったら手元の書類といっしょに電車の切符を送ってください。払い戻しますから」

 ブレストのノビヨン学長からの電話で、芸術大学の卒業試験審査に審査員として加わってもらえないかという打診がきたのは、半年も前のことであった。
「いずれ文化省のほうから正式な通知が来ますから」
という話だったので放っておいたが、直前になって送られてきた書類に「交通費の申請は、1ヵ月前に行うこと」と書かれていてびっくりした。ブレストへ出向 する日はもう目前で、「1ヵ月前」などとっくに過ぎている。審査には「微々たる謝礼が出ます」いうことだったから、そんな微々たる内から自腹を切ることに なるのだろうか、交通費が出ないと審査に行けません、とでも言ってみようか。そしたら出してくれるかな、などと逡巡した。その挙げ句、仕方なしに文化省の 係に電話をしたらこんな応対である。手続きを忘れたのは、他ならぬノビヨン学長であったらしい。五年制の国立芸術大学の卒業審査といえば毎年恒例の大行事 なのに、随分のんきな人である。
 こちらとしては心待ちにしていた審査であった。フランスの芸術大学の卒業審査がどのように行われるのかを知るのに、実際の審査に加わることができればそ れにしくはない。
「普通に判断してもらうのが一番なんだけど、なにしろ相手は学生だから、そこのところを考えてもらえればいいんだが」
 受験する学生をかかえた教師の一人で、我々の介添え役をするジャン=ポールが耳打ちをした。文化省から送られてきた審査員リストには四人の名前が連ねて ある。内訳は現代美術センターのディレクター、美術批評家、リルの芸術大学の教師、それにフリーランスのアーティストの私、という顔ぶれであった。自分の 大学の学生の評価をその大学の教師がするというのではないのだ。大学とは全く関係のない人間が寄り集まってきて裁可をするのである。普段の学生の姿など何 も知らない外部の人間に大事な場面を託さなければならない教師としては、確かに気の揉める設定であろう。ジャン=ポールの心内も分からなくはない。

 審査の朝、不安気な教師たちの顔の中から一番年長らしい教師が出て来て、勢揃いした審査員を前に審査の行程を説明し始めた。私たちの介添え役をするはず のジャン=ポールはなぜか後ろに縮こまっている。
「学生は、それぞれ大学の一室を使って卒業制作と制作過程を示すエチュードやデッサンを展示しています。今回の受験生は八人。各学生の質疑応答が終わりま したら、皆さんに採点していただきます」
 配点用紙が四人の審査員に一枚ずつ手渡された。遠く、校庭のほうから、これまた不安気にこちらを覗きやる一団の学生の姿が見えた。用紙にゆっくり目を通 す間も無く、最初の学生の部屋へ案内されて審査の開始である。学生が一人で待ち構える教室の壁には一連の油絵が掛かり、用意されたテーブルにはデッサン帳 が山と積まれ、自分の考え方を書きとめたノートまでが審査員の目に止まるように開かれてあった。彼らにとっての卒業制作は、それまでの成果の総体というこ となのだろう。部屋中に見せたいものを十分に展示して、あらゆる側面から見てもらおうという体裁であった。
 当の学生たちはというと、四人の審査員の前でコチコチに硬直し、これがやっととでもいうように訥々としか応えられずにいる。無理もない。容赦のない試験 だから上がっているのだ。突如として審査員の一人ドミニクが受験者の一人に、
「休みのときは何をしているの?」
と尋ねた。卒業制作とは大方関係のない質問である。相手は、
「家に居ます」
と消え入りそうな声を出した。畳みかけて、
「旅行にもどこにも行かないわけ?」
と訊く。学生はやはり、
「行きません」
と言って、苦笑いをした。毎回の同じ質問に飽きて、妙な質問をし出したものだ。ほかの審査員達も、作品の吟味から気を逸らしてへらへらと笑った。
 やっと最後の学生を見終えると、大学構内はすでに真っ暗である。見れば、時計は十時を回ろうとしていた。一人の学生に優に一時間以上を当てた計算であ る。
「採点は明日の朝始めましょう」
議長役のジリアンが我々を見回して言った。
「レストランはまだ開いてますかね?」
「夕食、急ぎましょう」

 翌朝、例の年長の教師が説明にやって来た。ジャン=ポールも顔を見せるが、やはり何も言わずに脇にいる。
「配点は四つに別れ、一項五点で二十点満点。半分の十点に達すると合格扱いです」
配点の内容をここで少し説明すると、卒業制作が二十点中の五点。卒業制作に付随するエチュードつまり習作が五点。そして、文化的知識と学生の資質がそれぞ れ五点ずつという配点である。大きく見ると、作品の総体が十点、面接での学生の評価が十点ということになり、作品と人間が半々の重さに振り分けられている のだ。
 ここで、私は思わずはっとした。普段、面接などはせず、審査といえば作品一点張りで、作品の中から作家の資質も同時に読み取れると考える、言わば作品中 心の観方はここではすっかり覆されているではないか。言われてみれば、作家の考え方をすべて作品に投入することなど不可能に近い。作品は人間の一面に過ぎ ず、人間と作品はよって次元が別なのだ。だから、人間と作品は分断して採点しようというのである。まことに明快な合理精神の現われは、晴天の霹靂とも言う べきものであった。
 「ほら、あの学生、家に閉じ籠もってる、って言ってたでしょう。今時、社会からいろいろ吸収しようと思わないのは良くないですよ」
審査員のドミニクがどうしても受け付けないという勢いで我々を説得し始めたのは、
「家に居ます」
と消え入りそうに答えた学生の裁可のときであった。思い返せば、作品には学生の真面目さが滲み出ていたのであるが、彼はそんなものより意識の持ち方のほう がずっと問題なのだと主張して譲らない。他の連中も煽られて大勢がドミニクの意見に傾いたとき、それまで黙っていたジャン=ポールがついに大声を出した。
「あんな熱心な学生を落とすなんて間違ってる!」
 
 作品が中心か、はたまた人間中心か。数字の上では同じ重さながら、人間への解釈は多様に過ぎて判断はまことに難しい。ジャン=ポールの必死の支持にもか かわらず、結局ドミニクの意見はまかり通ってしまい、他の教師の間にも言いようのない波紋を投げかけた。重い空気の中で、ジリアンが最後のまとめの感想を 述べた。
「受験する学生の数が少なすぎました」
 多勢いる学生がすべて卒業試験を受けるとは限らず、受験する学生が少ないことは大学全体が少々士気に欠けている、という意味の指摘でもあったが、それに 加えて我々の謝礼は、受験した学生の頭数で計算されることになっていた。八人に優に丸二日半をかけた審査の謝礼は、しばらくして予定通り文化省から振り込 まれてきた。金、千百三十二フラン也であった。

ひらかわ しげこ