Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 1999年5月号

平 川 滋子


《現代アートの必需品》 第二話 
1%と空軍

 トゥールーズ空軍基地は、国道だけが一本脇にへばりついた見渡すかぎりの平原の真中にあった。入口で身分証とパリ空軍参謀本部の紹介状を提出して待って いると、担当の将校らしいのが片手にファイルを抱えて現れた。「ボンジュール、マダム」将校は空いた手を挙げて額の脇に軽くつけながら、せわしなく挨拶を した。
 ここには飛行機をもらいにやって来た。もう少し正確に言うと、民間へ払い下げ審査にかかる不要になった空軍機の検分にやって来たのである。飛行機を実際 に見て納得がいけば、パリの参謀本部に払い下げの申請をして審査を待つ。無事にもらい受けが決定した暁には、特別仕立てのトラックでパリまで運んでくる。 飛行機は手を加えて作品にし、新設高校の中庭に設置する心積もりでいた。

 この国には、公共建造物を建てる際に、建物に設置する美術作品もアーティストに制作させるという、約束のようなものがある。建造物が建つのと同時に新し いアートも生みだしていこうという構想を、フランスはずいぶん前に打ち立てたのだ。アートに建築費用の1パーセントを割くという当初の取り決めを踏襲して いるのだろう。公共建造物の建築と同時に作られるアートは、今も総じて「1%」と呼称する。こうして生み出される作品は、最初から公共の空間で生きること になるわけだが、まわりの環境と作品がどう関わるか、その関わり方によっては、見る側の受け取り方も作品とのつき合い方も違ってくる。作品が環境のなかで どう生きるのか。未来の姿に迫るべくアーティストは、作品の置かれる現実の中に入って大いに発想を膨らませることになる。現場へは足を運べば運ぶほどい い。周辺の環境調査である。データは多いに越したことは無い。発想の飛躍台が高くなるのである。
 新しい高校に作品を置くのである。建物はそれ自身、初見から強烈なアイデアの種を蒔いた。思いきった建築は空間を大きく取り込んで、大船舶が畑の真ん中 に出現でもしたかのような、まばゆい白であった。青い空が広がる校庭にはコンクリートが敷きつめられている。コンクリートには一直線にランプが埋め込まれ ていた。聞けば一つ一つが本物の滑走路用のランプだという。校庭に滑走路。ここに飛来するものは何なのか。あるいは飛び立つもののためなのか。未来に飛び 出す子供たちの助走を引き受ける、とでもいう意味なのか。それにしても、がらんどうの滑走路には、どうやら肝心のものが欠けているではないか。金属の下に 飛ぶ機能と、実経験を秘めた本物の飛行機、だ。未来に滑走する彼ら自身のメタファー、飛行機。人間を練成する空間に、未来の<経験>を置く、というアイデ アはどうだろう。新設校のイメージにもってこいではないか。材料は、飛行機。しかも本物の飛行機でなければ意味がない。しかしさて、本物の飛行機は、どう やったら手に入るのか。

『タイム誌』でアメリカの平原を見渡す限り放置された飛行機の残骸の写真を見た。フランスにこういう所があれば、ここから一機、と言いたいがフランスはそ うはいかない。マルセイユのアエロスパシアル社に電話をした。エール・フランスの格納庫にも出掛けて行った。しかし機体はおろか、部品すら手に入らない。 ドイツの航空会社に勤める友人にまで応援を求めてみたが、機体の獲得は絶望的であった。そうこうしているうちに月日は過ぎ、半ば為すすべもなく諦めかけて いたころ、何と、空軍が不要になった飛行機を民間に払い下げる制度がある、という情報が飛び込んできたのである。

 「空軍機払い下げの係を」
と言うと、パリのフランス空軍参謀本部はいとも簡単に担当者に電話を取り次いでくれた。担当の将校は、
「民間の申込みが多いもので」
と言いながら、電話の先で手続きの概略を説明した。こちらはつい待ちきれずに、
「それで、現在審議にかかりそうな飛行機は」
と訊ねてみると、
「三機ほど。ミラージュが二機、ジャガーが一機」
と言う。ミラージュやジャガーといえば第一線の戦闘機である。空軍のリクルートをするわけではない。高校の校庭に戦闘機があっては意味が違う。
「他のタイプの飛行機はないんでしょうか」
「調べてみましょう」
数日経ってようやく、
「トゥールーズに小型機が一機ある」
という連絡を受けた。小型機は、その名をAV4G単発哨戒機。トゥールーズ空軍基地への紹介状ができたという知らせを受けて、参謀本部へ出向いたときに見 せてもらった写真のAV4Gは、全長7,5メートル程の白いセスナ機であった。

 トゥールーズ基地の将校は、せわしなく挨拶をしながら、
「あのバラバラの飛行機を見にわざわざパリからいらしたんですか」
と早口で切り出した。こちらも挨拶をしようとしたはずの口の先が、
「バラバラ?」
と将校につられて動くのを覚えた。
「まあ、ご覧になって下さい」
 用無しの空軍機が一列に並べられているところまでやって来ると、将校は指をさして促した。そこには胴体の半分がスッポリ無くなって、コックピットが無残 にむき出しになった残骸の山がある。主翼は途中から二、三箇所も折れて、剥がれた塗料か金属箔かなにかがヒラヒラしていた。事故機であった。このありさま では修理も不可能だ。検分をするどころか、延々パリから運んできたAV4Gの夢はアッという間に無情な残骸の山の中で消滅してしまった。しかし、ここまで 辿り着いておきながら、手ブラで帰るわけにはいかないではないか。本物の飛行機が目の前にぶら下がっているのである。思い直して飛行機の列を見やると、一 機、比較的損傷の少ないヘリコプターが目をひいた。
「あれも審議にかかるんでしょうか」
「ええ、多分」
早口の将校の言葉の語尾が薄らいで、少々頼り無い。
「参謀本部が決定者」
と言いたいらしい。早口を二度三度聞き返して、やっとヘリコプターの機種をメモすると、早々にパリへ引き返すことにした。

 パリ空軍参謀本部は何も知らされていなかったらしく、AV4Gがバラバラだったことにひどく驚き、ヘリコプターの払い下げについても、
「問い合わせてみます」
という返事以外、何の情報も持たなかった。セコハン機の払い下げなど空軍にしてみれば二の次の仕事だから、きっとお役所仕事なのに違いない。しかしこちら は、1%の作品プロジェクトを正式に提出する義務がある。しかも、困ったことにその期限が迫りつつあった。無事にあのヘリがもらえれば<経験彫刻>プロ ジェクトを遂行できる。しかし手に入らないのなら、すぐ発想を切り換えなければならない。余裕などはない。とにかく空軍の回答獲得を急がなければならな い。

 空軍を相手に電話攻勢に取りかかって数週間を過ぎたころ、思いもかけず、違う声が電話口に出た。
「軍曹は休暇です」
「え?」
「出てこられるのは3週間先です」
 代理であった。
 気が付けばもう6月も下旬。グランド・ヴァカンスの時期に突入していたのである。迂闊なことにフランスは軍人もこの時期ヴァカンスに入ることを知らな かった。他の将校たちが夏の間同じように休みを取れば、その間書類は1センチも机上を動かないだろう。国民のヴァカンス。目の前の2か月は無いに等しい。 万事休す、とは正にこのことであった。

 予感したとおりの凍結の夏が過ぎて、とうとう飛行機はもらえず、飛ぶ<経験彫刻>プロジェクトは発想もろとも、その努力も努力に費やした時間もすっかり 水泡に帰した。 作品が実現しなければ最初から何も無かったことになるのである。


ひらかわ しげこ