Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 1999年6月号

平 川 滋子


《現代アートの必需品》 第三話 
アートの枝葉末節

 ロシュフォールの企画に招待された。町中の建物という建物をアートで埋め尽くそうという展覧会のアイデアは壮大なもので、市役所や銀行、ホテルや駅はも ちろんのこと、コルドリイ・ロワイヤルなどのロシュフォールが誇る歴史建造物までを含む、町の要所三十か所にアートを乱入させようというのだ。これだけの 場所に作品を置くア−ティストを四十名と決め、企画ディレクターのアランはその大半をパリまで出掛けていって丹念にセレクションしたらしい。選んだアー ティストを場所と突き合わせて研究した結果、アランが私に当てた場所というのは、改築早々のロシュフォール駅であった。
「駅の様子が分からなければ、作品の選びようがない」
と言う私に、アランは直ちに自分で撮った駅のスナップ写真を数枚送ってよこした。古いロシュフォールの駅はさすがに構えが立派で、内部はドーム状の天井を 白い真新しい壁が支えている。約 八百平方メートルはある、と写真の裏に走り書きあった。アランは、どうやら先月、グランパレのパドックと呼ばれる踊り場に私が築造したインスタレーション を見たらしい。パドックの端から端まで二十五メートルのケーブルを渡して五メートルの高さに作品を吊るして見せたのだが、それを見て駅が合いそうだとでも 思ったのだろう。しかし、パドックにしても二百五十か 三百平米が関の山だ。それを 八百とは。どうやったら埋められるのだろう。単純計算でも、パドックの 三倍以上の作品が要る、ということだ。そう考えただけで、喉の奥が腫れたようになって食欲が失せた。作品を作るのはいいが、それを私の高々四十平米ほどの すきまといっていいアトリエで、制作しなければならないのだ。アトリエの二十倍の広さの駅に入れる作品量。とてつもない仕事になりそうだ。
腫れた喉をかかえて数日が経ち、あろうことか不意の電話で、
「実は、駅の地面には作品を置かないことにしたいんだ」
というアランの知らせが入った。
「置くのは、キオスクと切符売り場の屋根の上だけだ」
と言う。
 誰にでもさわられるところに置いたら作品には保険が掛けられない、というのがその理由であった。犬がおしっこを引っかけるかもしれないし、酔っぱらいが 蹴散らかすかもしれない。壊されたら壊されっ放し、とにかく地面は危ない。すべて人の手の届かない高いところに設置する、というのがアランの決めた条件で あった。それならそうと、写真を送ってくれたときに一緒に言ってくれれば良いのだ。なにも食欲までなくすことはなかった。場所が限られてぐっと気が楽に なったが、やはり空間に合った構成をしなければならないのには変わりがない。高さ二十メートルほどもある丸天井のボリュームに負けない作品をもって来なけ ればなるまい。

 展覧会の期日が迫り、構想したものを作られるだけ作って、ほぼ用意が整った。参加する大半のアーティストはパリにいる。作品の運送には大型トラックを二 台、ロシュフォール市が特別出動させることになった。何十人ものアーティストのアトリエを大型トラックで集荷して回るのはおおごとだから、パリに一か所集 荷場所を決めて、ア−ティストがそこまで作品を持ち寄る、という取り決めである。そのあと、われわれの作品を積んだ二台のトラックは、ロシュフォールまで 五百キロの道程をひた駆けることになっていた。

 毎回の展覧会で、運送ほど心配なものはない。折角作った作品は、展覧会場まで無傷で運んでもらわなくては困るのである。人に見せる前から傷だらけになっ てしまっては、どうにもならない。キャンバスをロール状に巻いて運送屋に託したところ、受け取ったときはロールが潰れてぺちゃんこになり、しかも真ん中あ たりから二つに折れた跡が付いていたという話をして、泣く真似をしてみせる絵描きがいた。ちょうど、ポスターかカレンダーのロールが何かの下敷きになって 潰れたようなものだ。ロールを開いても蛇腹に折れた跡がついて波になり、壁に掛けて見る気も起こらない。もう「見る」役には立たなくなっている。絵がこう いう状態になっては、やはり泣いても泣ききれまい。毎度作品が出来上がると、嘗めるように眺め回して、ほこり一つ付けぬよう綺麗に梱包をするが、展覧会先 で、いざ梱包を開いて展示だというときに作品が破損していたりすると、いかに傷が小さかろうと、もう人に見せる元気も無くなるほどげんなりする。運送屋は ロシュフォールのようにだいたい向こうからお仕着せでやってくる。したがって、作品がなんとか完璧な状態で目的地に着いてくれるよう、こちらで出来るだけ 周到に梱包し、保護しておくしか防衛の手はない。
 ロシュフォールからは材料費という名目で、千フランが出た。駅に置く作品は、数えると二十ピースに達していたが、大きさは一つ三メートルほどもあるの で、箱を作って送るには手間も暇も掛かりすぎる。エアキャップでぐるぐる何重にも巻くしかないだろう。概算するとエアキャップ百二十メートルで、約二ロー ル分に相当して必然的に支度金はすべて梱包代になり果てた。

 集荷の日、トラックに作品を積み込んで約束の場所へ出向くと、大きな工場のような建物があり、大型トラックが荷台をそっくり屋根の下に突っ込んで我々を 待ち構えていた。数人のアーティストがすでに手続きを行っていたが、その向こうに突然、原色の色を付けた彫刻が目に入った。鉄である。細い刺のような金属 片が全体からサボテンのように突き出して裸で立っている。アレもロシュフォールに行くらしい。「鉄で頑丈だから、梱包は要らない」という風に傲慢に立って いる。しかし、アレが他の作品に倒れかかったりしたら、倒れかかられた方はひとたまりもないだろう。こっちが倒れかかっても、穴だらけにされてしまうに違 いない。こういう作品こそ梱包をしなくてはならないのだ。見れば見るほど腹が立ってきた。受付をしながら思わず、
「私の作品はアレといっしょには積まないで下さい」
と言うと、
「いや、そのためにトラックは2台あるんです」
という返事が返ってきた。ちゃんと彼らもそこのところは承知しているらしい。

 作品の設置にロシュフォールに出向すると、アランが、
「ブラボー!」
と訳もなく私に向かって叫んだ。立派な梱包で驚いた、のだそうだ。梱包を褒められたところで、あまり嬉しいものでもない。しかしお陰で、作品は傷ひとつな く到着し、無事に設置することができた。展覧会の間中、列車でやって来る訪問者を向かえる役もちゃんと果たしたようである。
 長い展覧会を終えて三か月後、再び同じトラックで作品が帰ってきた。「来年も参加して欲しい」というアランの手紙が添えられ、展覧会もうまくいったらし い。ただ残念なことに、一枚のエアキャップで包まれただけの作品は、あちこちが破けて中身が剥き出しになり、擦り傷だらけになっていた。大事な作品を、最 後まで守り抜くことはできないものなのか。
ひらかわ しげこ