Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 1999年8月号

平 川 滋子


《現代アートの必需品》 第五話 
Vandalisme、芸術作品破壊
   
 「ナディーヌはいます?」
「少々お待ち下さい」
電話の奥で文化局の秘書がナディーヌを呼ぶ声が聞こえ、やがて聞き慣れた声が電話口に出た。
「なんだか胸騒ぎがして、電話をしたんだけど、展覧会のことで」
「展覧会は上々よ。天気はいいし、結構人は見に来ているし。でも、確かにあなたが心配するようなことが起こっているわね」
「いったい何が?」
「どうも、見に来る人の作品の使い方が間違ってるみたい」
「えっ、作品の使い方?」
作品は使うために作ったのではないのだ。使うために作られる芸術作品もあるが、私の作品は見るために作った作品である。それを、
「使い方が違う」
とは、どういう意味だろう。問い返すと、
「見に来る人達が使っているのよ」という、また答にならない答が返ってきた。展覧会中の作品が、こともあろうに使われている。いったい、どういう使われ方 なのか、こんな説明ではさっぱり分からない。とにかく、
「心配するようなことが起こっている」
と言うからには、作品に良からぬ変化があるということなのか。
「一度見に行ったほうがいいかしら?」
と訊くと、ナディーヌは、
「そうね、見に来たほうがいいわね」
とあっさり答えた。やっぱり厭な予感が当たったらしい。ひどい状態でなければ良いが。
「じゃあ、月曜日に行くわ」
とだけ言って、受話器を置いた。電話で聞くだけでは埒が明かないと思ったからだ。展覧会が始まってまだ二週間である。これからも人が見に来るというのに、 作品が見せられる状態でないとなれば、黙って放って置くわけにはいかない。何はともあれ、自分の目で確かめなくてはなるまい。

 ナタリが企画した野外彫刻六人展は、展覧会が始まると同時にサン・ジャン・ド・ブレイ市の文化局に管理が渡されて、局長のナディーヌが責任者ということ になっていた。作品を守るのも彼らの役目だというのに、いったい市は何をしているのだろう。制作中は、時折通りかかる町の人々が見物していたが、犬の散歩 がてら公園にきては不思議そうに仕事をするわれわれを見ていたおばさんが、
「綺麗なものができるのは嬉しいけど、悪いのがいて壊しまくるから心配ねえ」
と言っていたのを思い出した。
「 楕円形の芝生を、この森のあっちこっちに浮かせてまわるんですよ」
と説明をすると、
「芝生が浮くなんて、バビロンの空中庭園みたいね」
と言ったのも、このおばさんであった。思いがけない発想の結びつきは思いがけない人から聞くものである。図らずも、空中庭園になるべき浮いた芝生は、アシ スタントのデブロスが芝を乗せるために作った鉄の盆に土を盛りすぎて盆がしなって変形してしまったのを、技術局の溶接係が慌てて修正に駆けつけて、盆の下 から鉄のつっかい棒で支え、なんとか形を整えた。お陰で、浮いたように見えなければならない芝生が、棒の上に乗った形になって、どう見ても巨大な芝生の テーブルのようになってしまったものがある。
「デブロスの奴、百キロの耐久重量の見当で作った盆に、三百キロは乗せやがった」
 溶接係は盛られた土を見て驚いた。しかしあながち、デブロスのせいばかりとは言いがたいところもあった。盆を溶接して取り付けた木々は細すぎて、芝の重 みに耐えかね、内側にしなって安定を欠いていたから、下から支えるのは必然の要であったかもしれない。空中庭園に足がつく、という不測の事態が生じたが、 それ以外は大過なくプロジェクトは完遂した。展覧会はこうして、多くの人を集めて無事開始したはずだったのである。

 それから二週間後にこうして戻って来ようとは、まったく予想だにしていなかった。車で駅に迎えにきたナディーヌは、私を乗せるとそのまま現場に直行し た。オープニングの日と同じような雲ひとつない五月晴れである。公園の入口から入り、脇のパーキングに車を止めて作品のある方へ二人して歩きだした。広大 な公園には参加した六人のうちの三人の作品があり、作品は一度に一点だけが目に入るように、かなりの距離をおいて配置されている。慣れた道を進んでいく と、いつも整備が行き届いているはずの公園には不釣り合いな白い発砲スチロールのかけらが、コロコロと足元に転がってきた。また一つ、風下のこちらに向 かって、大きなかけらが転がってくる。三十メートルほども進んだところで、ナディーヌと私は唖然として立ち止まった。そこに在るべきはずのサミュエルの作 品が、きれいに無くなり、地面は雪でも降ったように真っ白になっていたのである。大きな発砲スチロールの板を十数枚、地面に並べ立てた大きな作品であった のが、見事というくらいに大破して粉々になり、白いかけらがそこいらじゅうに散乱して、無残な状況を呈していた。
「先週までは、ちゃんとあったのよ!」
 ナディーヌがやっと声を出した。よほど驚いたらしく、立ちすくんだままだ。私は、棒のように突っ立っているナディーヌを置いて、自分の作品のある方へ急 いだ。いまさら急ぐ必要もないのに気が急いたのだ。作品が見えるところまでやって来ると、足がすくんだようになった。人が居るのだ。なんと、空中庭園の芝 生に腰を掛けて数人がサンドイッチを食べている。確かに、私の作品が使われている。浮いた芝生が昼食の「ベンチ」になっている。芝の重さだけでも精一杯の 鉄の盆は、人間が乗ったために真ん中が凹み、大きくU字形に変形していた。そのU字の凹みに腰を掛け、側で見ている私がついぞ作者とも思わない様子で、彼 らは悠然とサンドイッチを食べていたのである。そこへようやくナディーヌが追いついた。
「ヒェーッ!」
またナディーヌが驚いた。
「曲がった芝生は先週まで一個だけだったのに」
 ウィークエンドのたった 二、三日のあいだに、浮いた芝生という芝生はすべて変形して、目も当てられない状態になっていたのであった。

 小さい町はよくしたもので、その日の内に大方の情報が集められた。初夏の陽気に誘われて、若者たちが繰り出した土曜日の夜中、モーターバイクが公園中を 走り回った挙げ句にサミュエルの作品を突き破ったらしいことや、芝生の上で大勢が踊り跳ねたらしいことやらが報告された。驚いたことに、ナタリの再々の要 請にもかかわらず、展覧会には警備の一人も置かれなかったらしい。
「だから言わんこっちゃない」
夕方になって仕事から帰ってきたデブロスがしたり顔で言った。
「そんなこたあ、前から分かっていたんだ。制服のポリスが一日一回廻るだけでも違うのに、それすらやらなきゃ、こうなるさ」
 
 オルレアンのキュレーターの勧めもあって、警備を怠ったサン・ジャン・ド・ブレイの市長宛、やんわりと抗議書をしたためることにした。展覧会や作品の扱 いがどういうものか、経験のない市にはちゃんと注意を促すべきである、という判断からである。日を置かずに市長から返事が返ってきた。
「大変遺憾です。次の展覧会からは十分注意致します」
いやはや、まったく「次」からでは遅すぎるではないか。
ひらかわ しげこ