Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 1999年10月号

平 川 滋子


《現代アートの必需品》 第七話
ワルシャワのスリ

 ポーランドのブロツワフという町で展覧会の話がもち上がったが、どうも条件が大変である。 
 ワレサ政権になって脱共産化し、西欧社会へ追いつこうという動きの真っ只中ではあるが、一朝一夕にフランスや西ドイツと同じになるというわけにはいかな い。ポーランド国内での私の滞在費や材料費の一切は持つが、まだまだ貨幣価値が格段に違うので、フランスからの交通費は出せないという。フランスであれ ば、必要経費は通常、企画者が負担するのであるが、今回はどうもそうはいかないらしい。それでは、作品の運送はどうしようと尋ねると、なるべく現地で制作 して欲しい、と言う。パリから持って来たいのは山々だが、長い間の東西断絶で、西を繋ぐ運送屋そのものが存在しないらしかった。むこうが提示する制作期間 は、高々一週間である。作品をすべて現地で作れるほどの時間ではない。一部でもパリから持ち込まなければならないことになるだろう。
「作品を小荷物にして郵便で送ったらどうだろう?」
と、ポーランド人のリュードビカに相談すると、
「それは止めたほうがいい」
と言う。普通の手紙でさえパリから三週間もかかるのに、小荷物はどれだけかかるか分からない、それに、紛失する恐れさえあると言う。治安も西欧並というわ けにはいかないようだ。
「自分の車で運んできたら?絶対そのほうが簡単よ」
とリュードビカが断言した。作品を積んで車でくればいい、と言うのだ。
「パリからブロツワフまで何キロあるの?」と訊くと、
「約千キロ」
という答えが返ってきた。千キロといえば、ほぼ東京−九州間に値する。パリから出発してドイツを横断し、ポーランドへ入るという行程を、時間の自由のきく 徒の旅行ならまだしも、仕事のために一人で運転して行くのは容易なはなしではない。
「私はいつも、バスでパリからポーランドに帰るのよ。時間はかかるけど、楽よ」
というのが、彼女のアドバイスの根拠であった。それは確かに、他人が運転するなら、「楽」かも知れない。目的地に着いたらすぐ仕事に取り掛からなければな らない私も、やっぱりポーランドには「楽」に辿り着きたいのである。車はひとりでに走ってはくれない。彼女には悪いが、この際少々難度の高い意見は遠慮し て、大陸横断鉄道でも十時間以上はかかるという道のりを、結局、飛行機で移動することにした。
肝心の展覧会は、数日逡巡した挙げ句、作品の大半を折り畳みのきく布にすることを思いつき、大型スーツケースに詰めて手で運ぶ算段である。作品運送もでき ず、現地制作が一週間という厳しい条件への苦肉の策であった。

 パリを出発した飛行機はワルシャワに着陸し、それから先、目的地のブロツワフまでは電車という行程である。なんとか飛行場からワルシャワ中央駅まで、荷 物を引っ張りながら辿り着いたが、それにしても言葉が不自由であった。切符売り場でガラス越しに行き先を書いた紙を見せ、英語で、
「1枚」
と言ってみるのだが、ガラスの向こうの人間は一言も英語を喋らない。ブロツワフに行きたいというのは分かったらしいが、親指を立ててポーランド語で、
「1枚か?1枚か?」
と念を押す。こちらは、
「そうだ、そうだ」
と頷いたが、渡されたわら半紙のような切符には、一等車という文字があった。あの親指は、「一枚か?」ではなくて、どうやら「一等車か?」と聞いていたら しい。あっと言う間の通信不能ぶりであるが、まるで見当外れでなければよいのだ。列車の発車まで一時間以上あるのを確認すると、ホームに降りて作品の入っ た荷物と一緒に電車を待つことにした。

 ふと、気がついて読んでいた本から目を上げると、ちょっと離れたところで青いヤッケを着た少年がこちらを見ている。きっと、ポーランドでは東洋人がまだ 珍しいのだろう。ちょっと本に目を落とした間に、少年はどこかへ行ってしまった。大分読み進んだところで、ようやく列車が入構してきた。一等車はコンパー トメントである。中に入るとコンパートメント脇の細い通路を大きな荷物と歩かなければならない。荷物を先にやって押しながら進もうとしていたところを、 三人の少年が後ろから入ってきた。もたもた歩いている私を追い越していくのだろうと思い、荷物ごと脇に避けたが、追い越すにも体がぶつかる程の細い通路で ある。あそこでもない、ここでもないと、席を捜している様子の彼らは、ちっとも私を追い越して行くふうではない。それどころか、一斉にこちらに向き直り、 ちょうど私を取り囲む恰好になった。目の前にいたのは、あの青ヤッケの少年だ。
「あっ」
と思った瞬間、少年は新聞を広げ始めた。パリでは一度も出会ったことがないが、よく噂に聞くスリの手口ではないか。新聞のすき間から、少年が私の腰に巻い たポーチのファスナーに手を掛けようとしているのが見えた。間髪を入れず、私の左手は少年の手首を鷲掴みして、頭上高く持ち上げた。同時に、
「ケ・ス・ク・ヴ・フェット(何をするんだ)!?」
 どう肝が座ったものか、咄嗟の大声で三人を怒鳴りつけた。こういうときにこんなにも地声の大きいのが役に立つとは思わなかった。耳の側で怒鳴られた少年 達は驚いて新聞を取り落とし、視界が開けてファスナーの開いたポーチが見えた。中身にはまだ触られていない。私は右手で急いでファスナーを閉めると、左肩 に掛けていた大きなバッグの方を見た。もうひとりの少年がこちらに居るのである。案の定、バッグのファスナーが開けられているが、これも中身はそのまま だ。それからおもむろに、左手で捕まえていた少年の手の先を見た。何も握られていないのを確認するまでは決して離すまいと、ガッチリ掴んだままでいたので ある。その手の先に何もないのを見極めたとき、後ろからほかの乗客がどやどやと乗り込んで来るのが見えた。青ヤッケの少年は、ハッとして我に返り、掴まれ ていた手を振りほどくと、慌ててほかの少年達とワゴンを飛び出して行った。

 察知が早かったからか、幸い何も取られずに済んだ。一足先に故郷に帰り、ブロツワフの駅に私を迎えにきたリュードビカは、その話を聞くなり腹を抱えて笑 いだした。
「クンフー流行りだから、スリのほうがビックリしたのよ。それにしても、怒鳴ったのがフランス語だったなんて変ね」
相手がヨーロッパ人だったから反射的に口から出たのだ。
「ここは、ポーランドなのにね」
と弁解すると、突然リュードビカが笑うのをやめた。
「スリはポーランド人じゃなくて、絶対ロシア人よ」
と真剣な顔をして言い始めた。
「この国で悪さをするのはいつもロシア人なんだから」
スリが何国人だったのか、ポーランド語とロシア語の区別がつかぬ私には判断のつけようもない。ポーランド人の彼女にはポーランドが常に愛すべき国なのだろ う。スリの話がこういう形に発展するとは思ってもみなかったが、考えてみればどこの国も似たような問題を抱えているものである。  
ひらかわ しげこ