Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 1999年11月号

平 川 滋子


《現代アートの必需品》 第八話
ポーランドの赤い布

 無事にたどり着いたポーランドの11月は湿気が多く、至るところ土がぬかるんでいる。パリと同じくらいの緯度のはずだが、気候は内陸的である。
「すぐ隣は、ウクライナよ」
と言われると、今さらのことながら、ヨーロッパは諸国がせせこましく近接しているのに驚いた。ここには私のために一週間の滞在施設が用意されているはずで あったが、ナショナル・ギャラリーの真ん前にホテルがあって、その一室が確保されているという。企画者のいる建物の目と鼻の先だから、確かに便利には違い ない。
「パリのちょっとした高級ホテル並よ」
とリュードビカは言ったが、垢染みたホテルはサイゴン・ホテルという名で、ベトナム人が経営しているらしかった。
 ブロツワフのナショナル・ギャラリーは、大戦中、空爆をまともに受けて二階から上がきれいに吹っ飛んだという十九世紀の石の建物であった。残った一階部 分をそのままギャラリーにしたという。一見して、最近は殆ど手を加えられてはおらず、あちこちチグハグな内装が時代がかっている。ここは国の運営によるも ので、同じような機構がポーランドの各都市に必ずひとつあるらしい。
「今までの政治のせいで、美術を売り買いする市場は無いが、その代わりポーランドではこういう組織が発達している」
と、ディレクターのステファニックが説明した。
「お陰で、金の束縛から離れたピュアな現代アートの活動が活発だ」
半ば自慢げに、「ピュア」というところを強調する。売り買いの対象になるのは需要の条件を満たす一部のアートに限られる。いいものが売れるとは限らないの はそのせいだ。作るからには売れたほうが次の仕事の足しになってありがたいが、売り買いを最初から諦めざるを得なかったポーランドは、その分、国がギャラ リーを作って芸術活動をちゃんと保障しているということらしい。偉い話ではあるが、察するところ今の国の状態からはあまり予算の期待もできないのではない か。私のようなアーティストを外から招待するのも、きっと一苦労の筈である。
「これが展覧会の案内状だ」
と、ステファニックが差し出したぺらぺらのコピー用紙を見ると、私の名前だけがやっと読み取れた。よく見れば、あちこち活字が×で消されている。過去の圧 政下、芸術活動を一切禁止されてギャラリーの名前が潰された折のものだと言う。
「その弾圧への抵抗の名残として、いつも展覧会の案内状には同じものを使う」
町中の人がその理由を知っているので、案内状は作家の名前と日付だけが読めればいいということらしかった。
 ところどころ、基礎のレンガが赤黒く表出した古びた建物を見て廻るうちに、新品の真っ赤なメルセデス・ベンツのトラックがギャラリーの脇でピカピカして いるのに気がついて、はっと目を剥いた。
「ステファニックが稼いでくるのよ」
と、リュードビカが言う。どうも彼女の説明はときどき分からない。
「展覧会の費用にしても、ディレクターのステファニックがどこからか都合をつけてくる」
と言う。
「現代アートの活動が活発だ」
と言う自慢げな態度の裏には、経済能力もあるぞ、という自信があるのか。
「でも、どうやって儲けるの?」
「それは知らないわ」
と、リュードビカが答えた。この人は詮索をする気もないらしい。大雑把な人なのだ。
「それじゃあ、アネックスへ行こう」
今回私が発表をする国立ギャラリーの別館である。別館へ着くなり、またリュードビカが言った。「ここもステファニックの稼ぎで運営しているのよ」
どうやって?と、また彼女に聞いても仕方があるまいが、好奇心が誘われるのだ。

 別館は百平米ほどのギャラリーで、真ん中に仕切りがある。十メートルの縦長のスペースが2つ並んでいる恰好だ。運送ができないのでスーツケースで運んで きた布は、この半分を埋める作品の分量である。あとの半分は現地調達するしかない。ここで見せる作品は、布を脱色するという単純なものである。鮮やかな色 の付いた布を買ってきて天井から垂らし、脱色剤の入った水槽に浸ける。毛細管現象で脱色剤が布目をじりじり迫り上がっていき、それにつれて布が漂白されて 行くのを見る、という設定だ。最初から色の付いたものを選んでその色を抜いていく作業なので、白いキャンバスに絵の具を乗せていく従来の絵画とは逆の発想 である。様々な色を脱色したが、布によっては二、三色染料の混ざったものがあり、カーキ色の布を脱色したら綺麗なピンクが下から浮き出てきたりもした。フ ランスの地方都市で行われた「トリコロール」展というフランス革命に因んだ展覧会の折に、国旗の赤の脱色をいろいろ試みたが、赤のうちでも臙脂系の赤の下 からは、鮮明な黄色がめらめらと炎のように現れ出たのを見て、構想した本人も思わず驚嘆した。色が消えながら下から何が現れるかわくわくしながら見るので ある。布は高さ四メートルの天井から吊るして、表からも裏からも見る。色についての作業といっていいが、既に定着し終わった色を壁に掛けて一方向から見る 伝統的な絵画の見方とは、まったく違う見方もこうすればできる、ということを言う作品なのであった。
 時々ステファニックの手伝いをしに来るというクリストスが、ギャラリーから預かった財布を持って買い物に付き合うことになった。大きなデパートは四階分 が丸ごと吹き抜けになったがらんどうで、使い道に困るようなだだっ広い建物である。やっと見つけた赤い色の反物は、測ってみれば十一メートルあるだけだっ た。
「在庫はありません」
という風に売り子が首を振った。
「ほんとにこれでいいのか?」
と何度もクリストスが訊くが、布売り場は柄物ばかりである。布なら何でもいい、というわけにはいかない。花柄の布がギャラリー一杯に下がっていては、作品 の意味がおかしくなる。ほかに店も無いと言うし、これしか無いから仕方がない。別館の縦が十メートルだから、十一メートルあれば何とかなるだろう、と概算 してあるものを受け入れることにした。新品の、ベンツの赤いトラックで出直して水槽のガラスと脱色剤を手に入れ、ようやく制作に取りかかったのである。
 展覧会の準備が予定通り整い、オープニングの日がやってきた。来訪者の紹介を一々受けるのだが、ポーランド語では何も分からない。挨拶もできずにボーッ と突っ立っていると、中にフランス語の分かる人がいて、やっと口を開くことができた。相手はこちらの話に頷きながら、
「ところで、この布はポーランドで仕入れたんですか?」
と訊く。
「そうです」
「ということは、ポーランドの赤を脱色しているんですね、つまり<コミュニズムの脱色>というわけだ」
「あっ、なるほど!」
「アハハハハ・・・」
「あっ」と、驚いたのは私であった。

作品の解釈はいろいろあっていい。流石にポーランドにはポーランドの生な観方があるものだ。昨日まで私の頭の中にあった作品は、この一言で彼らの日常にう まく嵌まり込んでしまったのである。これを聞いてやっと溜飲が下がる思いがし、ここまで来た甲斐があったと思えたのであった。
ひらかわ しげこ