Shigeko Hirakawa

白 水社『ふらんす』 1999年12月号

平 川 滋子


《現代アートの必需品》 第九話
環境との対話

  三か月後に、再びポーランドに行くことになった。ポーランドは気温が氷点下に下がり、ちらちらと雪の舞う季節だという。ワルシャワで出会っ たスリに懲りたわけでもないが、今回はまずベルリンまで飛び、電車を乗り継いでポーランドに入るというコースを取ることにした。仕事の帰りがけにベルリン を見てまわろ うと思ったのである。自分の乗る飛行機のコースをワルシャワからベルリンに換えたところで、作品は前と同じように手で運ばなければならない。西欧と東欧を 結ぶ運送機関が無いのだ。

 今度の展覧会はナショナル・ギャラリーでの四人展である。ギャラリーの六百平米を均等に頭分で割って、一人の割り当てが百五十平米ほどの計算 だ。図面の上 で現実の空間を想像しながら、手で持って行けるだけの材料と現地で調達できる材料を思案して練り、スペースに見合った新しいプロジェクトが醸成してくれる ようにもっていく。だいたいアイデアというものは待っていても出てこない。脳みその裏をひっくり返して、眠っている細胞をたたき起こす勢いが必要である。 そうしてようやく絞り出て来たものを、大事に分析し、さまざまな条件と突き合わせながら膨らませる。はっきりと細々したディテールまで作品をイメージでき るところまで来ればしめたものである。しかし、そこまでクリアなプロジェクトが描けても、現地に着くまでは安心できない。企画者が集めてくれているはずの 材料が思った材料でなければ作品にならないからだ。今回も制作期限は一週間である。あまり複雑なこともできなければ、考え込む暇も無い。作品ができないの に展覧会が始まってもらっても困る。作品が形になるまで気が抜けぬ、再びスリルとサスペンスの日々である。

 こんな風に、たまに厳しい条件や制約を与えられることはあながち悪いことではない。自分を違う状況に置き、外の条件に見合うような作品を志向 することで、 制作の視点をガラリと変え、普段の制作方法とはまったく違った方法を編み出したりすることもできるからである。この視点の変化こそ、与えられた環境との対 話にほかならない。ポーランドとの対話は、東西分断で作品の輸送ができないことから始まったが、結局、その制約の下から導きだされた方向は、技術やら材料 の質は切り捨てても、作品に現れる考え方が明解であり、それらに置き換わるほどの強さを提示できる可能性を模索するという、言わば制作の原点に戻ることで もあった。

 予定通り、手に持てるだけの材料をスーツケースに詰め込んだ。ベルリン始発ポーランド行きの列車は、内装が木造である。未だにこんな汽車があ るのか、と感 心しながら乗った車内は、人がまばらであった。少し走ったかと思う間もなくポーランドとの国境の町に着き、列車の停止と同時にドイツとポーランドの制服が 交互にやって来てパスポートを点検すると、われわれは列車から降ろされて乗り換えを待つことになった。早い日没で、外は真っ暗である。地下の待合室は、ベ ルリンから乗ったらしい酔っ払いのポーランド人と私、それに少し離れたところに子連れの女性が居るだけであった。
 ふと、コーヒーの自動販売機があるのに気がついた。コーヒーを飲む時間は十分にある。うまい具合にポケットに入っていたマルク硬貨で間に合い、暖かい コーヒーが出て来た。自動販売機からコーヒーを取り、荷物を置いたベンチに戻って座ろうとしたとき、四、五人の少年たちが目の前に現れ、何かを大声で叫ぶ と、私の真ん前に座っていたポーランド人の酔っ払いを取り囲んだ。あっ、という間に男を羽交い締めにし、揺さ振っている。きっとドイツ人だろう。頭を剃っ たスキンヘッドだ。唖然として見ていると、一人のモヒカン頭の少年が腰のポケットから何やらペンのようなものを取り出した。少年がそれを一振すると、なん と長さが三倍に伸びて刃渡りが三十センチもあろうかという巨大なナイフに早変わりしたのである。少年はナイフをポーランド人の目の前に突き出して見せた。 ポーランド人はアルコールのせいか、くねくねとして抵抗もせずにされるがままになっている。ナイフを持った少年と私の距離は二、三歩くらいなものである。 こちらは驚いて立ち上がり、大事な作品の入った荷物を自分の身に引き寄せながら、波々とコーヒーの入った紙コップを手に、少しでも彼らから離れようとして 熱いコーヒーが地面にぼたぼたとこぼれ落ちた。
 その間に、少年たちは羽交い締めにしたポーランド人のポケットからたばこを一箱せしめると、ビールをラッパ飲みしながら悠々と歩き出し、他には目もくれ ず待合室の出口から出て行った。

 瞬時のできごとであった。あまりに間近で見たので、ナイフがまだ目の前にちらついている。酔っ払いはというと、少年たちに放り出されたままの 姿勢で、ぐ にゃりとベンチにしなだれかかっていた。起きているのか寝ているのかも分からない。そう言えば、さっき列車を降りたときは、これほどひどい酔いかたではな かったはずだ。スキンヘッドの少年たちに取り囲まれたときから、突然ぐでんぐでんになったのだ。酔っ払ったフリをして過ごせば殴られず、何か盗られてもた ばこ一箱くらいで済めば上々だ、とでも思っているのか。そうだとすれば、この辺りはよっぽどこの手の暴力が横行していて、男は対処の仕方も知っているとい うことだろう。乗り継ぎ列車のアナウンスがあり、離れたところにいた親子が立ち上がると、寝ていたはずの酔っ払いがすっくと立ち上がった。男は、御明察、 と言わんばかりにしゃっきりとなり、すたすたと歩いてまっすぐホームへの階段を昇って行ったのであった。

 「それで、どうだったの?」
 仕事を終えてパリに帰ってくると、ショワズィ・ル・ロワのアートディレクターをしているマリアンヌが話を聞きにやって来た。冒険話に事欠かぬポーランド であったが、前回、そして今度の二度にわたる展覧会を代弁するといえば、やはり「コミュニズムの脱色」の話ではなかったか。作品を見に来たポーランド人 が、赤い布を脱色する作品のなかで、「赤」が消えていく様子を自分なりに解釈して言ったものであった。共産主義から開放されつつあるポーランドの激動を象 徴してもいるし、周りにも大受けに受けた。
 得意になってその話しをするが、気がついてみれば、笑っているのは私独りである。脇で聞いているマリアンヌの頬はピクリともせず、やけに冷めた顔をして いる。
「共産主義の脱色だなんて、うちの市長の前では言わない方がいいわ」
マリアンヌがぴしゃりと言った。
 しまった!ショワズィ・ル・ロワは共産党市長なのであった。同じ共産主義とはいえ、東欧とフランスでは政策のあり方がまったく違うのだ。フランスでは、 革新の町が文化に大きく予算をさき、現代アートに力を入れているのである。所変れば品変る。ゆめゆめ同じ話が至る所で通じると思ってはならない。
ひらかわ しげこ