Shigeko Hirakawa

環境にかかわる 2002
文:平川滋子

 二年以来、私の仕事のテーマは命と自然のキー・エレメントである水に集中している。水は命に必要不可欠な反面、破壊的な 力を持ってい る。この主題が私の 興味を引くのは、自然の中の水を制御すべく人間があみだしていく方法論と自然の水の錬金術においてである。 
  
 水が私の作品の一部として現れたのは、1992年の野外展で、作品「回転する楕円」を制作した折であった。この作品は、地面の芝生を切り取ってはがし、 移動して木々の間に浮かせたものである。既にこの作品の構想の段階で、紙の上に描かれた浮いた芝生は、切り離された土以外から養分を供給する必要があるよ うに思え、また切り取ったあとの地面の穴は、それまで吸い取られ続けていたものの不在によって、行き所のない水が姿を現してくるような感覚を覚えた。この とき、このプロジェクトの本筋は、デッサンの上で直感したように、ものの背後にあるものを表面に出し物質化していくことであると気づいたのである。こうし て、地面の穴は水を満たした池になって存在を確実にし、また私のイマジネーションも形になって完遂した。
 フリューオレセインに出会ったのは実にこのときである。(フリューオレセインとは、地下水の流れを検出するために使われる自然分解する化学染料であ る。)この染料のおかげで池の水のボリュームをより視覚化することができた。この経験が後に、もっと明快に環境との対話に注意を払うきっかけとなるのであ る。

 1997年、フランス南西部のランド県で、環境との対話の貴重な経験が、私の仕事をもう一歩進ませることになった。モン・ド・マルサンという町が仕事の 舞台で、仕事の現場を選ぶために案内をされて町の下見に出かけることになった。周辺の見渡す限り一面の海岸松の森林は素晴らしく、まさにこの松が展覧会の テーマなのであった。植林された松林は地域の林産業のおおもとでもあったが、一方で松の木は、中世から湿地帯として知られていたこの地域の地面の水を、ポ ンプのように吸い上げて土を正常にし、人間が居住するのを可能にし、また野菜の栽培を可能にさせもした。したがって、この地域の松を切ると、完璧に透明な 水のような松脂が汗のように湧き出してくる。松脂は茶色がかっているのが普通であるが、あまりに水を吸い上げて透明になり、松の木そのものもかなりの重さ に達している。この、松の木の幹を通る水の循環が、私の作品「変容 / 生」を生み出すことになった。この作品のために選んだ場所は、歴史建造物に指定されている川岸の洗濯場で、泉水が常に滾々と湧き出ている。泉水の中には、 高さ250cm、直径40cmの松の木12本を天井につかえるようにして打ち立てた。松はおのおの、モン・ド・マルサンの人間をアット・ランダムに選んで 目の高さを測り、その高さに切ってエメラルド色のポリエステル樹脂を挟み込んだ。自然の松の樹脂のかわりにこの人工樹脂が木の幹を通る水の循環を視覚化し ているというわけだ。
 モン・ド・マルサンでは町の中央を流れる川の両岸に「生」と「死」を対比させたプロジェクトを実現したが、作品「変容 / 生」はそのうちのひとつである。プロジェクトのうちに水の錬金術を取り込んで「生」を強調し、このプロジェクトは見事に環境にマッチすることになった。

 2001年、マラコフのメゾン・デ・ザール現代アート・センターで発表した作品にもフリューオレセインを使用した。この染料で染められた水は、容れ物の 色や光によって緑から黄色へと自在に色を変える。フリューオレセインにこめられたものは、最終的に人間が水を制御するという大目的のために、自然の中の水 の流れを水にただこの染料で色をつけて追いかけるという最小限の方法で自然にかかわる人間の知恵にある。
 
 この10年来、大嵐や洪水、エコシステムの異常など、地球の異常気象へ関心が高まっている。 1999年12月、フランス全土を襲った大嵐では、あちこちで大量の木々がなぎ倒された。それもつかの間、人間はこれを正常化すべく、消失した森林の損害 高を量り、 再植林に数年の月日が必要となることなどを割り出しに掛かった。こういった人間の姿は、経済的な理由にせよまた、自然保護の理由にせよ、人間の利益のため の働きかけであることは誰の目にも明らかであろう。つまり、至るところ人間は自己の目的や社会に適した自然を作り出そうとするのである。

 人間に隷属したこうした自然の姿を見て、人間自らもまた、社会に役立つという目的のために作られ隷属した自己を見出す。 2000年の ギャラリー・パスカ ル・ヴァンノエク企画の個展では、このテーマをあたまに、自然の材料を用いて作品を制作した。実際に嵐でなぎ倒された木を、根や枝を切り払って幹だけに し、頭と根の部分に木の板をあてがって幹だけで立つようにした。ちょうど人間が、きれいで有用な部分だけを社会で見せるような発想である。

 世界の異常気象はどんどん激しさを増し、またその激しさの現れ方は予測がつかなくなってきている。この事実は、自然のほうが人間社会の横暴に反抗し、 人間に生き方を根本的に考え直すよう仕向けているかのようでもある。
 この段階から、はたして私のビジョンはどういった方向に進んでいくのだろうか?この問いへの答えは、将来私がかかわっていく環境との対話に見出されるこ とになるであろう。


シャトネイ・マラブリィにて
2002年2月
平川 滋子