Shigeko Hirakawa

平川 滋子 2000年5月

ギャラリー・パスカル・ヴァンノエク、CIACC
企画個展


 個々人間は、社会の一員として生きているが、アーティストとて例外ではない。仕事をする場が公共である如何にかかわらず、外の世界に係わろうとすると、 必ずと言ってよいほど社会的な制約にぶつかることになる。一見自由に見える野原や森、公園なども仕事に利用しようとすれば管理者の許可が必要である。今 日、至る所人間の管理を免れないところは無いと言ってよいからだ。
 
 フランスは1999年12月の大嵐で多数の木々が倒れて全国的に多大な被害を出した。人々はいち早く復旧作業を開始したが、一方で倒れた木々の処理や市 場価格の計算に頭を悩ませ、また何十年もかかるという植林計画の見通しを立て始めた。これは人間が、環境保護にせよ経済目的にせよ、自己の目的のために自 然に働きかけているという事実を我々にまざまざと見せつけた好例であった。人間は天災をくい止める力も無いままに人間の生活に適合した自然を作り出すこと に専心し続けているのである。
 翻ればまた人間もしかり、こうした自然のあり様は社会のなかで人間が強いられている生き方に酷似している。社会の管理のなかにいる人間は、それがいかな る社会であっても、社会の要求に応えるべく人間形成が図られていると言って過言ではない。教育にしろ文化にしろ、政治経済などのあらゆる要素のなかで、我 々は我々が依って生きるところによってその生き方が方向づけられてしまうことに無関心ではいられないはずである。

 この展覧会では大嵐で倒れた木を根と枝を落として幹だけにし、幹の下部と上部に板を取り付け、ちょうど幹の部分がサンドイッチされた形にしてもう一度立 て直してみせる。人間の目的のために制限を受ける自然をシンボリックに、また人間社会の個々の人間をメタフォリックに表現しようとするものである。

 「水」もまた、生命に不可欠でありながら一方で驚異的な破壊力をもつ自然の要素の一つである。古代日本では、水が落ちてくる「空」もその水「雨」と同 様、「アメ」と呼んだ。
 水について、997年松材を使った野外展の折、私はモン・ド・マルサンで重要な経験をする。土地の人の話によれば、ヨーロッパ一と言われるランド県の松 の植林は植林産業のみを目的としたものではなかったらしい。水分を過分に含んだ土地は農耕に不適当であったが、植えられた松が水分を吸い上げて土地の湿り 具合を適度にし、野菜の栽培を可能にしたと言う。実際、水を大量に含んだ松は非常に重く、切断面から玉の汗のように樹脂を吹き出した。その樹脂も普通は琥 珀色をしているものが薄められたようにまったく透明である。そのような水の循環の一端を担う松のイメージがこのときの作品『変容・生』を生み出すことに なったのは言うまでもない。

 ここに提示する「水」は、そのような自然の水の循環から断ち切られてビニル容器に詰め込まれている。水は水道検査局が地下水の流れを調査する際に使用す るフリューオレセイン(蛍光染料)を溶かし、水を通して見る色を問う。

作品・・・木の彫刻、『埋め込まれた根』(木の根、蜜蝋)、水、クローン・デッサン、
     写真作品

 

 

シャトネイ・マラ・ブリィにて、
2000年5月28日
平川 滋子