Shigeko Hirakawa

カ タログ『近作集』 1994
平川滋子

楕円

 ひょっとしたら、何度も同じ道を行きつ戻りつしているのかもしれない、と気がついてひどく驚かされることが ある。本来ならば、自分の目の前の道を突き進 んでいなければならないのだ。ひょっとするとこれは、何かへの覚醒なのかもしれない。立ち止まってそれを確認することが大きな前進なのかもしれず、そのま ま見過ごして進んでいってしまうことは取り返しのつかない後退となるのかもしれない。いずれにしても、一度気がついてしまったら判断を下さなければならな くなるのである。
 そのような場合の判断は、一切のものを救うか、あるいは切り捨ててしまうかという二者択一を迫ることがある。それは今まで、そして、これからしていくべ き経験が、取り返しのつかない時間の方向性の中に押しこめられているからだろう。見渡してみればあらゆる選択の方法がありそうなものなのに、どういうわけ か、右か左か、その間を渡された細い綱を渡ってでもいるかのような危うい選択を強いられずにはおかないのである。しかし、意識のほうはこの「ずれ」の中で 変貌をする。つまり、かけ離れて在る現実と現実を含む空間を、自己のイメージの中に取り込もうとして、膨れ上がるイメージへ膨大なエネルギーを投入し始め ることがあるのである。私は、このエネルギーが、次元を超えた新しい世界の布石へと、綱渡りの綱を解いて導いてくれるのを、ひそかに期待しているのではあ るが。
 
 宇宙と地球がさまざまなテーマで扱われるようになって久しい。こうして宇宙の彼方から地球を観るイメージを見ていると、唐突にも、現実とわれわれを乗せ た地球を押しつぶしてみるとどんな形になるだろうという思いに取りつかれた。地球がつぶれると、単なる球形がつぶれた円ではなく、どうしてもひしゃげた形 の楕円のイメージが付きまとう。それは南北に二極を持つ地球が、宇宙空間の持つ圧倒的なエネルギーにねじ伏せられて地軸がよじれ、二極はそのまま二つの陰 と陽の点となって平原へ降り立ち、二つの原点を持つ楕円になるような気がするのである。陰と陽の二つの原点は、巨大な螺旋の形状をなして、地球全体を流れ る磁力を吐き出し吸い込む二つの相対する極のことだ。過去から未来に渡された螺旋状の電路を時間のスパイラルに置き換えられるとすれば、さしずめ人間はそ こを駆け抜ける一粒の電子ということになるだろう。こう考えると私の頭にイメージとして浮かぶ「楕円」は、地球を潰した形というよりも、このスパイラル状 の目に見えない磁力系のほうから出てきた形だということになるかもしれない。つまり楕円は、球体の一部から現れたものではなく、実は方向を抱え込んだ見え ない円柱を斜め切にしたところから出現したものであることに行き当たるのだ
 この「楕円ellipse」という言葉は、ラテン語のellipsis、ギリシャ語のelleipsisからきており、文法構造上なくてはならない言葉 が、相互の暗黙の了解のうちに、改めて繰り返す必要を失って省略されたり欠落してしまうことをさして言う、いわば言語の「欠け」のメタファーとして使われ る言葉でもある。言葉を欠落させる前提となりうる互いの了解事項は、その外にいる者からは見えにくい。言葉の欠落は、共通の前提なしには会話を意味不明に してしまうということも起こるだろう。世界はもともとおのおのが背中合わせに閉じたもの同士の集まりだからである。われわれはその閉じた世界の中に一瞬一 瞬を虜になりながらも、もうひとつの世界へ手を差し延べようとするときに、初めて自分の視座が天空に運ばれ、それぞれの世界を展望できる位置に辿り取りつ き、宇宙の原野に散らばる楕円の群れの中から、知らなければならないもうひとつの「楕円」が見えてくるのを知ることになるだろう。
 対立する二極を表裏に持ち、「欠落」の閉じた世界を意味する楕円から紡がれるメタファーは、どうやら「人間」そのもののようである。人の善と悪は表裏に ありながら、実はその表裏は与えられた現実によっては逆転もする。その意味では人の決めた善悪も相容れない二つの極というよりは、同じ平面上にならべるこ とのできる二つの点に過ぎないのかもしれない。
布の中に現れる楕円は、時間の中を駆け抜けるそのような人間の束の間を、脱色剤でネガ撮りにして見せたもののように思われる。上へ上へと積もってゆく土が 過去の廃墟を隠していくように、時間が人の過去を隠していく瞬間を、少しの間洗い流して見せようとする。危険が腐食剤による荒治療だが、これも楕円の円環 が「生」の期限へとわれわれを覚醒させてくれるであろうという期待からである。

注)楕円ellipse : 多かれ少なかれ自動的に頭の中で補充可能なひとつないしいくつかの言葉を脱落させること。省略やほのめかしの技法。<すべてを語れると思ったら大間違いで ある。人は自分の語る以上のことを知っているのだ。つまり言葉というものは言外の意味−ellipese−を含んでいるのである>(サルトル)。楕円は 「欠け」のメタファー。


1993年10月
平川 滋子