Shigeko HIRAKAWA
- アプロプリエーション

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Immersed Roots 1999-2000


Solo Show
平川滋子、アプロプリエーション

2000年6月15日から7月22日まで

ギャラリー・パスカル・バンノエク企画
パリおよびカシャンスペース、フランス



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Wedged Tree 2000
250から 300cmの高さ
パリ近郊で1999年の暴風雨で倒れた木々
蜜蝋


個々の人間は社会の一員として生きている が、アーティストとて例外ではない。仕事をする場が公共である如何にかかわらず外の世界に係わろうとすると、必ずと言ってよいほど社会的な制約にぶつかる ことになる。一見自由に見える野原や森、公園なども仕事に利用しようとすれば管理者の許可が必要である。今日、至る所人間の管理を免れないところは無いと 言ってよいからだ。フランスは1999年12月の大嵐で多数の木々が倒れて全国的に多大な被害を出した。人々はいち早く復旧作業を開始したが、一方で倒れ た木々の処理や市場価格の計算に頭を悩ませ、また何十年もかかるという植林計画の見通しを立て始めた。これは人間が、環境保護にせよ経済目的にせよ、自己 の目的のために自然に働きかけているという事実を我々にまざまざと見せつけた好例であった。人間は天災をくい止める力も無いままに人間の生活に適合した自 然を作り出すことに専心し続けているのである。
翻ればまた人間もしかり、こうした自然のあり様は社会のなかで人間が強いられている生き方に酷似している。社会の管理のなかにいる人間は、それがいかなる 社会であっても、社会の要求に応えるべく人間形成が図られていると言って過言ではない。教育にしろ文化にしろ、政治経済などのあらゆる要素のなかで、我々 は我々が拠って生きるところによってその生き方が方向づけられてしまうことに無関心ではいられないはずである。
この展覧会では大嵐で倒れた木を根と枝を落として幹だけにし、幹の下部と上部に板を取り付け、ちょうど幹の部分がサンドイッチされた形にしてもう一度立て 直してみせる。人間の目的のために制限を受ける自然をシンボリックに、また人間社会の個々の人間をメタフォリックに表現しようとするものである。




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Hunting Trophy of Dead Tree
1999-2000
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Short-circuits (短絡)
2000年、枝、根